生きる
2011年3月11日 14:46
6年前のこの日は保育園の子どもたちと一緒だった
あれから6年
今思うとこれまで自分がこの日の出来事に
いかに向き合っていなかったかを痛感させられた
いや
正確には他人事になっている自分がいるのだと思う
今年はある家族の物語に触れさせていただく機会をいただいた
それは東日本大震災の影響で起きた
福島第二原発事故で被災された方のこれまで
家族を失い
家を失い
思い出を失う
失って(手放して)入ってくるものがある、と実感としてあったが
簡単な言葉で言ってはならないモノがそこにはあった
希望は失わない
『人間の記憶は儚く、悲しみでさえ忘れてしまうものである
それは仕方のないことだと分かっている
未だ見つかることのない我が子を探し続けて6年
もう探し出してあげるのは難しいかもしれない
自分を生かすために息子は隠れたままなのかもしれない
だけど
動かなければ可能性は0
例え望みが薄くても動き続ける限り可能性が0ではない
この悲しみは消えるものではないであろう
東電への憎しみは一生消えないであろう
“行き戻りつつの日々の中、たとえゆっくりでも前に進んでいく”
だから自分にできることを精一杯。
そして、
みんなで空を見て笑おう』
自分にできることなど限りなく儚い
けれど、自分にもできることは必ずある
家族を失う悲しみは知っている
だからこそ
大切なヒトには今の気持ちをしっかりと伝えていく
新たな毎日を迎える中
“自分自身”と“周りにいる人”を大切に
私らしく生きていく
今日という毎日に感謝を込めて
今日の空も綺麗に生きてた